ヨーロッパほぼ一周食い心棒の旅#46-2 アポローニャ

うまか不思議ギリシャ篇ロゴ

ギリシャ第36日目 6月24日(土)後編

アポストロフ・大使館職員

シフノス島・アポローニャ

午后7時過ぎに FOTO SIFNOS に行くと
「白黒?イブニングなんだよ」
さすがにギリシャでは午后7時は夕方にはならないみたいだ。
「何時?」
「9時だね」
ということでクマさんハウスを近くまで見に行った。何の家なのか判らんけど、とにかくクマさんに見えるのだ。見かける度に気になっていたのだが、近くで見てもクマさんに見えるということ以外は何も解決しなかった。
帰り道、見事にかわいいロバくんがいたので見とれていると、飼い主のおじさんが、撫でてやっておくれとゼスチャーするので、お言葉に甘えて撫でさせてもらった。とてもおとなしいグッドドンキーだ。おじさんに礼を言ってバイバイをし、町まで戻りウインドーショッピングをしても9時までにはまだ間があるので、ホテルシフノスで食事をすることにした。

中まで入り見本を見て、マカロニムサカ、ズッカヌー、グリークサラダ、ビアアムステル、ツボルグソーダを同時に持って来てくれろと、いつものヒゲ兄ちゃんに頼んだ。途中でのたっての希望でビアアムステルをハウスワインに替えてもらい、全て同時に運んでくれた。
今日はマカロニムサカの上にちゃんとチーズもかかっているし、ガーリックソースみたいなものもおまけに付いている。どれもこれもうまいぞーとパクついていると、チケット売りの少女が通りかかったので、カリスペーラと大声で挨拶したら、急ぐ様子で笑いながら退場していった。(迷惑だったかな?)

ズッカヌー
スタッフドトマト、スタッフドピーマンのズッキーニ版。見た目がカヌーに見えるから、このネーミングになったと思われる。ギリシャ料理とは言えないみたいだ。アメリカのベジタリアンレストランなどでよく出る料理らしい。

時計が9時を指したので中座して FOTO SIFNOS へ向かうと、オヤジの眉毛は8時20分を指していて、少し遠くを見る目つきで「ソーリー、プロセス、プロブレム、トゥモローモーニング、10オクロック」と宣うではないか。
なんじゃとー!これじゃレティムノンの美人おねえちゃんと同じではないか!でも明日11時45分の船でアテネにいくんだから遅れたらイヤだかんね!と念を押して夕暮れの町をホテルシフノスへと帰って行くのであった。
さて、そろそろチェックプリーズをしようか、蚊も多いことだしと腰を上げかけたところ、「ディス イズ フロム ミー」とウゾ&ミネラルウオーター&氷をヒゲ兄ちゃんが運んでくれた。こりゃあ飲まん訳にはいかんのでチビチビやっていると、ヒゲ兄ちゃん、近くに来て休憩をしだした。
ベリーストロングと言うと「スローリー、スローリー」ゆっくりやりなよと言いつつ、ホテルシフノスのチラシと名刺を差し出し、自分の名前をギリシャ文字で書いてくれた。ようやく飲み終えたのでお勘定を頼むと、我々のテーブルのベンチにどっかと腰下ろし、紙製のテーブルクロスに3900と書いてからバッテン印をつけて3500に書き直した。
この文字は何と読むの?と訊くと「アポストロフ」と言いながら、キリスト教の12聖人の絵みたいなのを指差した。
返礼にディスイズマイネイムと漢字入りの名刺を渡すと、早速、これは日本の文字だよと常連おじさん連中に自慢を始めた。1500のおつりをもらい、握手して店を出た。
アポストロフ

アポストロフ
なにかにつけ「ポーポポポポ」とあいのてを入れる。ギリシャで流行っているのか?それともこの人特有のマイブームなのか、判らない。

腹ごなしがてら今日もダンスを見に行こうと坂を下ってると、背の低い踊り好きおじさんが独りタベルナで酔いつぶれていた。おじさんの背中は淋しそうだった。
角のカフェを曲がるとXT250が通り過ぎ、リアシートにはチケット売りの少女が座っているではないか。チケット売りの少女はこちらを向いて手を振って笑った。そうか今日は土曜だからデートなのか。子供だ子供だと思っていたらいつの間にか大きくなっちまって、おじさんが年をとるはずだ。
FOTO SIFNOS 前を通ると、10時半だというのに灯りがついている。わしの所為で残業か?すまんのうと目を凝らすと、オヤジは外で子供と戯れている。オーイと手を振ると、こちらにやってきて、又もや深刻そーな顔をして何か言おうとしてやめた。
うーむ何やら不穏な空気が立ちこめてきた。実は失敗してしまって、わやくちゃになってしまったんだ、もう何でもします。フィルム100本差し上げますからどうか許してつかーさい…とでも言われるかと思ったが、「モメント」とだけ言って納屋のほうに消えた。
するとフィルムをビラーっとつまんで風になびかせつつ出て来た。まだ乾かしてる最中であるから、さっき言った通り明朝まで待つのだというのを説明したかっただけのようだ。すまん、オヤジ、余計な気苦労をかけてしまった。実はこのムーミンみたいな人はカメラマンでもあるので、全ての行程を自分でこなせるという、そこいらのワンナウワー写真屋とは一線を画すオヤジなのだった。
背の低い踊るおじさんやチケット売りの少女という重要人物が、関係のない所で油を売っているということは、今日の出し物は大したことないってことか?
前方から人がゾロゾロやって来る。もうお仕舞いなのか?とにかくその方面に急行する。
おー、やってます、やってます。今までで最大級な盛大さでやっております。演奏人はおとといの2人。今日は踊り人も衣装をきっちり着こなしズラリと並んでいる。
余分な演説もなく、テーブルの下に座り込んでカブリツキで見ることができた。昨日もおとといも口だけ出してエラそうにしていたシンプソンが、みんなにおだてられ、とうとう美少女と二人で踊りだした。くるくる回し回され滑るように舞っている。これはカッチョイーのであった。
どうやら中休みになったらしく、人々がどやどやと我々のほうへと押し寄せる。うわー、連行されて踊らされたらかなわんと退散する。ちょうど舞台の袖に当たる教会の階段に落ち着いて成り行きを見守ることにした。
どうも我々の潜んでいたテーブルの上にスナックやワインが並べられたので殺到したという見解が正しいようだ。婦人会のおばさんたちが色々とお盆に載せて配りに来る。腹いっぱいだけど断れないので、ご相伴にあずかった。ワインもチビチビ舐めた。今日はイヤにものをもらう日だ。
楽団もいつの間にか4人に増えている。ギリシャの琴みたいな楽器の兄ちゃん、この人はこないだチケット売りの少女の横で調弦していた人だ。そして笛を持った人も参加している。
さあ、これからは大人の時間と言わんばかりに、楽団たちがワインを飲みながら嬉しそうに演奏を再開した。演奏したくてしたくて堪らないという感じだが、全然気負うこともなく、さりげなく、しかし毎日こうやって楽しんでいるんだろうということが伝わって来る。
婦人会のおばさんの次はおじさんがスナックを勧めてくれた。よく見ると、おとといの日に「あさってもここであるからぜひ来て下さい」と言っていたおじさんだった。約束を守ったことが嬉しかったのかエラく喜んでいる。しかしなぜか「じゃ、お休み。どうもありがとう」と握手をして、おじさんは去って行く。え?帰るんかい!?とツッコミを入れながら舞台を見ると、昨日おねえさんぶりっ子をしていた娘が中心になった最年少グループが、無茶苦茶っぽいけどなぜか上手に踊り始めた。
次の曲ではぶりっ子とシンプソンが踊りだす。子供も年寄りもみんな楽しくてしょうがないようにはしゃいでいる。そうして6月24日の夜は更けてゆくのであった。

村の演奏

しかし6月25日になっても祭りは続く。

「あなたがたとは毎日会っていますね。このミュージックとダンスは好きですか?どこから来ましたか?」
と姿勢の正しい大声おじさんが喋りかけて来た。
「日本です」
ヤパニ?とびっくりしたような顔をしたかと思うと、
「おーいヤパニだぞー!」
と大声で叫び出した。
え?なんかマズいことでも言ったか?
すると、
「こんばんは。ご機嫌いかがですか」
と流暢な日本語を披露しながら、ラフな格好をしたおじさんが近づいて来た。
思わずドギマギしてしまい
「えっ、あー、うー、グッド、よいです」
とこちらが外国人のようにヘンな日本語で返事をしてしまった。
「私は日本大使館に勤めています」
というそのおじさんは、カストロに泊まって小さな修道院を見て回っている。ここに来る前はミロス島に行っていた、ということを語りだした。
「ミロス島と小豆島が姉妹都市なのを知っていますか?」
と訊いて来る。
どこの島だかシカとは憶えていないが、どこかとは姉妹都市なのは知っている。はったりをかまして
「はい、知っています。その小豆島の出身です」
と言ったけれど、さしたる驚きも喜びも見せず、大使館おじさんは話を続けた。

「この島は良いですね。観光地化されていない。私はあまり有名でない島を巡るのが好きです。あなたがたはとてもラッキーです。偶然この島を選んだのですか?この島で日本人を見るのは珍しいことです。この島には360の修道院があり、ほぼ毎日小さな祭りがあります。あ、あの一番前で踊っているのが女房です」
と言って、舞台を指差した。
「女房は彼女の父親がキャプテンだったので、2才の時に1年間日本にいたことがあります。私も大阪には2年間いました。15年前のことです。宝塚にも一度行ったことがあります。
ガイドブックには書かれていないものを私は見たいので、いつも神父さんに尋ねます。彼らは情報屋でもあるのです。何でも知っています。この教会で来週の金曜日に大きな祭りがあります」
聴いてばかりなのもナンなので、こちらも質問をしてみた。
「60才くらいの人によく、日本に行きましたと言われるんですが、なぜでしょう」
「あー、昔は船員さんという職業が沢山ありましたから、彼らは船乗りとして長いこと行くんですよ。でも今は誰もなりません。キツい仕事ですから」
「はあ、そうですか」
「私達はあの山の頂上の修道院に行きたいです。でも歩いて2時間なので……」と大使館おじさんの話は尽きることを知らない。

ウッティ
と日記には書いてあるが、今調べてみると、グーグル先生をもってしてもそのような楽器はヒットしない。
何をもってそんなにハッキリと固有名詞を書いたのやら我ながらナゾの所行だ。

演奏の熱も高まり、みんなが演奏人の回りを取り囲みだした。頃合いなので、我々も一員に加わることにした。
中心ではウッティを演奏しているおじさんが挨拶をしつつ唄い弾いている。
次はバイオリンの響きも物悲しく今まで聴いたことのないような、ちょっと演歌っぽい哀愁漂う曲。
そして笛担当だった兄ちゃんはマンドリンみたいな楽器に持ち替え、琴兄ちゃんと恐ろしく速いセッションを繰り広げ、子供らはそれに合わせ踊りまくっている。中学生くらいなのにホント上手い。上手く踊れるのがモテる秘訣だと言わんばかりに上手い。
一番上手いと思われる少年が、琴兄ちゃんに「次はアレやってよ」とリクエストして、またもや踊りだす。いつまでやるのやらと見とれていると、今度は、仮称マンドリンのソロに合わせて、琴兄ちゃんが傀儡舞のような踊りを独りで踊りだした。演奏だけかと思っていたら踊りも一流で、恐ろしくカッコいい。女の子だったらホレてしまうところだろう。
やんややんやの拍手のあと、仮称マンドリンを笛に、琴兄ちゃんはタンバリンに持ち替え、タコのような真っ黒おっちゃんがくわえタバコで独り阿波踊りのようなヒョーキンな踊りを舞いだした。笛の音もなんとなく日本の村祭りのピーヒャラっぽいが、これまたムチャクチャ人を惹き付ける。
さらに子供らの踊りは続き、4人楽団の演奏に合わせみんなで大合唱。
時刻は1時半を回っている。
姿勢の正しい大声おじさんがムッソリーニかマルコムXかと言わんばかりに、大声でしかも言葉の判らない我々もそーだそのとーりだ!と拍手してしまうような見事な演説をして会場は締めくくられた。シフノスは永遠に不滅です!

姿勢の正しい大声おじさん、バイオリンおじさん、ウッティおじさんと握手をし、おやすみさよならありがとうと別れ、大使館おじさんにもおやすみよい休暇をと別れ、暗くなった道を宿へと戻るのであった。空にはギリシャ神話が生まれたのも納得できるような星空。もうロバフンを踏んでしまってもよいではないかと坂をのぼった。

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