物価
国際電話代に至っては日本からアメリカにかけるほうが、日本→台湾間などより遥かに安いのだということが、あとになってわかった。そ、そうだったのか…

 もちろん船便でお願いしますと台北車站の中にある郵局の小姐に小荷物を渡して、僕たちは台灣銀行に向かう。
 台灣というと物価は安いと勝手に決めつけていた。実際旅してみて、そのイメージ通りなのは食べ物だけだということがわかった。わかっていたはずなのに、100元もかかるまいと思い込んでいたら、航空便なら300いくら、船便でさえ160元もかかると郵局の小姐は教えてくれた。予定とは60元の違いだけれど、そのままではちょっと心もとないという現実にぶつかった。
 いつもよく見かけていたそこに行ってみると、ひどく愛想のいい服務小姐が地図までひっぱり出してきて教えてくれた。
 「こちらにございます本店のほうに足をお運びください。そこに外貨部がございます。何の問題もございませんよ。ほんの2・3分でございますから」
 大層いんぎんである印象を受けたけれど、やれやれ、又たらい回しか。
 今日は快晴である。しばらく降り続いた雨が蒸発しているのか、むっとする排気ガスまじりの空気(あるいは空気まじりの排気ガス)の中を歩いた。説明を受けている時は、わかっているつもりだったけれど、こうして歩いてみると、そう簡単には見つからないものなのだ。荷物も全て背負っているから、それはひどくこたえたが、台灣にきた初日もこんなだったな、と少しばかり懐かしく思えた。同じ道を行ったり来たりしてようやく見つけたそこは、おそらくここが本店だろうと思える巨大で重厚、そしてクラシカルな店構えだった。道路を挟んだ向こうには、国の重要な機関と思われる建築物が、軍服を着た人間の護衛つきでそびえていた。

 永和に行くと、ほかに客は誰もいないようだった。時計を見ると10時を回っている。もう朝食という時間でもないのだ。もう片付けを始めているようにも見える。しかし今日で最後だから、どうしてもここの豆漿油條を食べておきたかった。焼餅を焼いているお爺さんもすでにいない店先に立つと、いつものおばさんが、にこにこしながらゼスチャーまじりに注文をとってくれた。
 目当てのものを受け取り、テーブルに座り、早速その幸福を味わった。本当にこれは幸福としか言いようのない味だ。後ろのテーブルには、おでんの具のようなものを、大きなたらいに入れて置いてある。まさか明日の仕込みというわけでもないだろうしと、回りを見まわせば、豆漿を作っていた釜のあたりでは幾分赤みがかったスープのようなものが作られている。菜単を見てみると、昨日とびっきりうまかった酸辣湯という字が見える。どうやら昼の部というものもこの店には存在し、それは昼食にふさわしい内容で編成されているに違いなかった。僕はそのふさわしい内容というものを試してみたい欲望にかられた。
 妻に伺いをたてるまでもなくそんなことは許されるはずもない。すぐ隣の店で、残金調整という名目で、バナナ1本、パイナップルの切り売り1つ、そして本命のサンドイッチは昼食用と言って2つ買うのが精一杯だ。

 バナナとパイナップルは三越横の広場で食べた。三越のトイレを利用することを計画していたけれど、中ではまだ朝礼が行なわれている。計画は中止することにして、僕たちは空港行きのバスターミナルを探すことにした。だいたいこの辺りにあるということは、わかっている。しかし今までこの辺りを通る度に、それとなく観察してはいたけれど、この辺り一帯は大きな工事プロジェクトが敷かれているらしく、それを見つけることは容易ではなかった。そんなバスターミナルであったけれど、意外にも三越広場を出てすぐ、車の流れの向こうに目を移しただけで、『往中正機場』と書かれたその看板が目に入った。やれやれと、僕たちは信号が変わるのを待った。

 「エアポート、リャン」
 学生時代によく通った餃子の王将(京都派)で覚えた、怪しい中国語(と言うより京都王将語)まじりの言葉を、チケット売り場の男に投げかけると、男は不審な顔もせずにチケット2枚を差し出した。
 通じるもんだ。
 ちょっと小鼻をふくらませ乗り込むと、車内は恐ろしくエアーコンディショナーが効いていた。長袖のシャツを着ているにもかかわらず、僕は寒さにふるえた。僕はその寒さから逃れるために、1個15元の、玉子・ハム・八角風味のコロッケらしい揚げものの挟まれたサンドイッチを食べた。妻がちょっと早すぎるんじゃないというような顔をしたが、それは僕たちのこの旅行の最後に、もう一度この台灣に立ち寄りたいと思わせるような味だった。サンドイッチを食べて台灣に思いを馳せるのも一般的でないとは思うけれど、実際それだけの価値のある食べ物だと僕は思う。
 バスターミナルを見つける手間が省けたせいか、かなり早く空港に着いた。暫くはすることもないので、チェックインカウンターで働いている女の子たちを眺めた。別に前に座っている団体客のおばさんの背中でもよかったんだけれど、この場合はチェックインカウンターを見ているほうがさまになるような気がした。
 女の子たちはてきぱきと仕事をしている。そんな女の子たちを見ていると、何の問題もなく飛行機は到着して離陸してくれそうだ。
 トイレをすませ、近くにあった階段を上ってみた。中二階のような二階には、ファーストクラス専用と書かれたVIPラウンジの入り口が、まるで悪いことをしているかのように、ひっそりと並んでいる。三階に上がると、喫茶店や土産物屋だとか銀行だとかの向かいに出国審査の係官がいる箱が並んでいた。喫茶店や土産物屋だとかが視界に入るせいか、それは入国審査のある風景よりは幾分明るい印象を僕に与えた。
 ついでに喫茶店の内容もさりげなく調べた。経営は台灣が世界に誇っているらしい圓山大飯店がしているが、スパゲッティだとかカレーライスだとかがおいてありそうで、あまり期待はできない。喫茶店と土産物屋の間には、紙切れがいっぱい入っている透明な箱がおいてあった。近づいてみるとそれは、よくあるチャリティーボックスで、紙切れはほとんどのものが百元札だった。
 「そうか、百元ごときを再両替するのは恥ずかしいことなのか・・・」
 一人つぶやきながら時計を見ると、あと残っているのは、サンドイッチを食べるくらいの時間だけだったので、僕はエスカレーターに乗って妻の座っているところへと向かった。

「なとのりトトロ」と書かれたTシャツを着たこどもを見かけた。わっはっは。

 ボーディングルームに入ると、すでにしてそこは人の渦だった。
 ここシンガポールチャンギ空港は恐ろしく広いので、そこここに散らばっているベンチのうちの一つに腰掛けて、でれーとしていた時には閑散としていたはずなのに、こんなにも沢山の人が同じ飛行機に乗るのだとは到底思わなかった。
 台北からシンガポールまでの時のように、遠くに座っている人の頭上に僕たちの所帯道具一式を置く羽目になってしまうのは、やっぱりどうも落ち着かない。別に盗まれるなんていうことはないと思うけれど、どうせなら自分たちの上に置いておきたいのが人情というものなのだ。しかしまさか、入り口付近を仁王立ちで見張っているわけにもいかないので、それとなく人の動きに気を配りつつ、漸く見つけたベンチに座ってぼーとすることにした。
 ざわざわという気配に振り向くと、早くも15・6人が並んでいた。どうしても遅れをとってしまうのは、修行が足りないからだろうか、などと考えつつもオバタリアン的な動きで、21・2人目に着くと、流暢な英語でアナウンスがあった。
 「せっかく早く並んでいただいたところ申し訳ありませんが、初めはファーストクラス、そしてビジネスクラスとお子様をお連れのお客様にお通りいただくことになっております」
 とアナウンス嬢は言った、と僕たちの頭脳は理解した。
 「うおー」というどよめきの中、その選ばれた人たちは僕たちの横をすり抜けて通り、僕たちはそのままの姿勢で彼らを見送った。ようやく列は動き出し、ぞろぞろとついていくと、そこにはあのテレビなんかでよく見るバスが待っていた。順番に乗り込んでいくと、うまい具合に出口付近に立つことになった。しめしめ。
 SQサファリパークにでも来てしまったかのように、大中小いろいろのシンガポールエアラインを眺めながら、ぐるぐると場内を連れ回された挙句、到着したのは特大のMegaTopという飛行機の前だった。なるほどこれならあれだけの大人数でも大丈夫だろう。静かにドアは開き、エコノミークラスの中ではほぼ一番乗りに、僕たちは機内の人となった。
 しかしさすがのMegaTopでも座席は埋め尽くされたようであり、それは当初の予想通りとても窮屈な飛行となった。浮かれ者の僕たちは窓側の席を頼んでしまっていたので、いちいち遠慮しながらトイレに立たなければいけなかった、ということも窮屈さのもとであったけれど。通路側に座っているのは、ドイツ人っぽいちょっと大きな恥ずかしがり屋のおじさんである。殆ど喋らない。まあ、こちらもそのほうが助かるのではあるけれど。おじさんはかなりの気ィ遣いィであるなあというのが、ひしひしと伝わってくる。食事の時はお互いに大きな体なので、僕はナイフ、おじさんはフォークを使うのが、かなり不便になる。僕がナイフを垂直に立てた感じで使いだすと、おじさんもそれに習い、左手だけを使うようにすれば、おじさんも負けじと右手だけで食べるようにする。さぞかし前から見たらおかしかったろう。これだけのことで、この人は良い人なんやろなぁと思える。なぜか記憶に残るおじさんだった。

それにつけても、今回の食事もたいそうおいしかった。
晩餐はローストビーフパイナップルサラダ、チキングリルチーズ入りなどなど…。
朝食さえもかなり豪華でミクスドグリル(焼トマト、ビーフグリル、チキンナゲットグリル、マッシュルーム、八角風味ソーセージ)、ハシュドポテトエトセトラエトセトラ…。
世間ではあまり評判の良くない機内食だけれど、僕は割りと好きなのである(特に焼トマトは目からウロコもの)。なかでもこのシンガポールエアラインのものは好物に入れてもいいとさえ思っている。といっても他は大韓航空のものしか知らんけど。

 午前5時ごろアテネに着き、僕たちが降りようとしているということに気がつくとおじさんは、人のいなくなった向こうの席に移ってくれ、荷物を降ろしやすいようにしてくれた。上の荷物入れを開けると、おじさんのカメラが僕たちの荷物の前にでーんと構えている。おじさんを振り返り「おろしてもいいですか」というふうに目で尋ねると、「どーぞどーぞ」と言ってくれたようだった。

 タラップを降りると外はまだ暗く、おーここがギリシャかーと考える間もなく、待ち受けていたバスに乗り込み、入国管理の建物へと連行された。そしてまたもや怪しい人物になってしまったのか、入国管理官の兄ちゃんは僕の番になると疑わしい目つきになり、パソコンでパスポートナンバーを照合しだした。18日の日なら、「息づまる緊張感、場内は興奮のるつぼと化しています」とナレーションが入るところだけれど、今日はそういうわけにもゆかない。
 暫くその緊張感に耐えていると、係官はあくまでも無愛想かつ無表情に「オッケ」と言ってパスポートを返却してくれ、目は早くも次の人物に向いていた。いかに観光の国ギリシャといえども、お国の機関はこういうものなのだなあ、とエスカレーターで上り、まずは落ち着くためにトイレに入った。落ち着きを取り戻したところで、2軒あるけれど1軒しか開いていない両替所の前に行きレートを見ていると、「税関申告書は出されますか」といやに丁寧な日本語が聞こえたので、振り向くと日本人のカップルが立っていた。
 「えっ、いやー現金じゃなかったら別にいらないんじゃないんですかー」
 「でも、それに相当するものとかって書いてたような気がするんですけど・・・」
 「えーそうなんですかー」と言って調べ直してみると、米10万弗相当の現金だったので、申告はしないことに決まり、できるならばギリシャからエジプトにも行きたいという、新婚旅行の彼らと別れた。

 再び両替所に並び「カリメロやったかなカリメラやったかな」とぶつぶつ言ってたら、両替の終わった前の兄ちゃん(スチーブン・スピルバーグ似)が振り返り、「ハローはカリメーラだよ。そしてサンキューはエファリストーだよ」と即席ギリシャ語講座を開いてくれた。発音の添削指導を終えると、スチーブンはすたすたと立ち去った。
 当座に必要な小額だけの両替を済ませ、税関を通ろうとすると、たしか先ほどは見えていた少し太めの係官のおばさんはもうおらず、あたりは閑散としてひとっこひとりいない。僕たちは税関のチェックも受けず勝手にギリシャに入国した。

 そうして5月20日が始まった。

台灣篇-----------了