日月潭教師会館からの眺め

  六點半起床。
  拉肚子小小。房内厠所故障。溢溢困困。我探公共厠所。
  未溢房内厠所。我們是放置出立。
  對不起了。
 
 切符売り場の小姐が教えてくれたバスに乗ってみると運転手の人はキリスト教の人のようで、耶蘇はあなたを愛しているとか、この世は如意だとか、快楽がどうとかのシールを自分の持ち場の回りにぺたぺたと貼っていた。台灣とキリスト教。なんだか不釣合いな気もするが漢字パワーの標語に妙に納得させられる。
 車内は初めひどく空いていたけれど、雨足が鋭くなったころ、病院に通っていそうなおばあさんだとか、蓑を着て篭にいっぱい野菜を入れたおじいさんだとかで、ほぼ満員になった。立ちこめるもやの山をぐるぐると下ると、水里に到着した。
 火車站はどうやらバスターミナルとは離れているということが看板に書いてある。台灣中どこに行ってもありそうな名前のメインストリートの途中、メンタム一個とバナナ二本を買って車站に向かった。

 車站に着くとそこは工事中だった。そんなこんなで雨のせいか、水里という名前からくるイメージとはうらはらに、どことなく薄汚ない町だなと思ってしまう。まあ、それはいいとして、何時の火車があるんじゃろかと、時刻表を貼ってある窓口に近づこうとすると、しゃッとカーテンを閉められた。しかし時間はわかるのだよ明智君と、調べてみると十時〇九分発の火車があるとわかった。まだしばらく時間がある。
 森川の泊まっているロイヤルガーデンビジネスホテルに、電話をすることにした。日本語が通じるということが、きのうわかったので安心してできる。

 「もりかわさん、かいしゃいってます」と電話の小姐は言った。
 えー、一体どういうこっちゃ。約束は今日のはずやのに。それに今日、電話をするということは、きのうに伝言してもらっているはずだし。
 「かいしゃの、でんわばんご、おしえましょか?」と彼女は言った。
 会社に電話なんかしてもいいのかと思うけれど、この際だから教えてもらうことにした。もちろん日本語通じるよなぁと、ちょっとどきどきしながら、コインを電話機に入れた。
 「はいもしもし※※※※※でございます」
 当然のようにその女子社員は日本語で、自分の勤めている会社の名前を言った。自分の名前を告げ、森川を呼び出してもらう。
 「なにしてんねやー」
 どういう行き違いでか、彼は十四日の日曜日に待っていたと言うのだ。たしか、十六日と約束したはずなんだが・・・まあ確かに会社勤めなんだから日曜日が休みのはずなのにとは感じたけれど、海外出張だからそんなものなのかなと、その時は思ったのだ。どうやら四月のカレンダーを見て、十六日と言ってしまったらしい。
 まあそんなこんなで、今日の夕方六時から七時の間に、ロイヤルガーデンビジネスホテルのロビーで落ち合うことに決まり、私は受話器を引っかけた。

 十時になっても窓口は開かない。おかしいなあ。もう十分くらいしかないではないか。窓を叩いてみる。
 ______無言。
 いったん外に出て裏口に行き、三回廻ってニーハオと言ってみる。
 ______無言。
 工事現場のおっちゃんみたいな人が通りかかったので、ツオーピャオと言ってみる。
 「〆仝‡∂∀?」
 ああ時間は過ぎてゆく。
 ガイドブックで発音を調べ、売店のおっちゃんに「ウォシエ・ツオーピャオ」と言いながら[我買車票]という文字を見せてみる。
 『???』
 後ろにいるちょっとした小姐は笑っている。二人で何やら相談して、私から取り上げたガイドブックをパラパラとめくり、地図のページを開いた。私が台中の所を指さすと、紙の切れ端に
 [水里→台中=NT$76]
 と書いてくれた。「あの、そうじゃなくてですね」と言いながら
 [何処]
 と書くと、また同じことを書いてくれる。いやいや、だからそうじゃなくてね、
 [購入場所?]
 と書くと、おっちゃんは窓口をボールペンで指さして「チョトマテクダサイ」と言い、片目をつぶった。もう一度時刻表を見に行くと、十時五十四分の台中直達というのが、次の火車らしい。単純に時刻表の見方を間違っていただけなのかもしれない。
 ガイドブックのことばの欄をもう一度見直していると、「シエ」というのは『買う』ではなくて、『書く』のことであるということが判明した。なんちゅうアホやろ、一人苦笑していると、後ろのほうで誰かが呼んでいるような気がしたので、振り返るとさっきのおっちゃんが何かの袋を持って、呼んでいるようだ。何かをあげようと言ってるのかな、と思ったけれど、私の少し前には子供がいたので、そっちに言ってるのかもしれない。でもやっぱりこっちに言っている気配が色濃い。わしのこと?と自分の鼻を指さしてみると、おっちゃんは「その通りなのじゃよ」と二回うなずいた。
 せっかくもらったので、あまりおいしくとは言えないけれど、その砂糖のついた甘い梅干しのようなお菓子をなめていたら、かちかちと大理石をボールペンで叩くような音がした。音のほうを見てみると窓口が開いている。一番乗りでそこに並ぶと、窓の向こう側にいるのは、売店にいたおっちゃんだった。おっちゃんはにやりと笑い、往台中と書いた切符を二枚くれた。
 みんながぞろぞろ月台のほうへ行きだしたので、我々もぞろぞろの一員に加わる。小雨けぶる月台に立つと、ホウ=シャオシェンの映画の一シーンのようだったので、写真をパチパチしてみた。静かに時が流れてゆく。
 どこかでキンコンカンとチャイムが鳴った。

 黒板にチョークで行き先を書いているディーゼルエンジンの火車に乗り、二水までの風景を楽しんだ。バナナと梛子、そして稲がジャングルのようにおいしげる中を火車は進む。バナナで有名な集集にも止まった。
 普通なら二水で乗り換えなければいけないけれど、この火車は直達なのでこのままこのままと、続きを楽しんだ。と言えれば良かったけれど、そこからの景色はあまりぱっとしない工業地帯だとか住宅地だとかの間を通るだけだった。乗客もだんだん増え、時には日本の通勤ラッシュなみの状態になったかと思うと、急にガラッと空いたりする。車掌さんは乗客が減ると、大きなダミ声で「どら、めしでも喰っかなー」とかなんとか言って、四人掛けの座席にどかりと腰掛け、焼飯弁当ホカホカ湯気&しずく付きをわしわしと食いだした。それを目撃した私は急速に空腹地獄へと突き落とされていくのであった。そう言えば今日の朝食は、きのう如意軒で買った豆あんパン一コだけだったのだ。車掌さんはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、全部平らげてしまいシーハーシーハーやっている。

集集鉄道の車窓から

〜実践茶藝体験録〜

(1)封を切っていない
 新品の茶葉
目の前で小姐がパチリとハサミをいれる。ちなみに我々の頼んだのは炭火焙煎凍頂烏龍茶。

(2)竹製のトング
まずこれで茶葉をつかみ急須にいれる。

(3)どびん
あらかじめ沸いているお湯をもってきてくれる。その後は(5)のランプで保温しておく。
(4)火鉢
なぜかコカ・コーラのシールをぺたりと貼ってある。(5)をいれる。

(5)アルコール
ランプ
小姐の点火サービス付き。

(6)第一の急須
これに茶葉を1/4くらいいれる。いれすぎたのでノンノンノンと教育的指導をうけた。

(7)第二の急須
とりあえずここに(6)から注ぎきる。

(8)かすいれ
終った茶葉をいれる。
たばこの灰なんかも遠慮なく放り込んでいた。

(9)第一の湯呑み

まずはここに(7)から注ぐ。しかる後(10)に移し替えて、空になったところに鼻を持って行き、かほりを楽しむ。う〜ん奥が深い。

(10)第二の湯呑み
こちらに移し替えて、ようやく飲むことができた。

 えんやこらと台中に着き、約束通り欣達大飯店に向かった。パスポートナンバーだけを書くと、こないだの中国語専門の小姐が愛想もよろしく、同じ部屋の鍵を渡してくれた。
 昼めしは、偶然発見した観世音素食に入った。台北にある観世音の支店のようであるが、ここは昼間だからかもしれないけれど、自助餐方式になっていた。当然このほうが注文しやすくて便利なのだが、つい多くとり過ぎてしまうのが欠点だ。料金はいくらなんだろと思っていると(値段は貼られていない)、小姐は容器ごと計りに載せ、値段をはじきだした。ということは、おいしくてもおいしくなくても値段は同じということになる。おかずだけで百二十六元(二人分)、ご飯は一杯十元。スープは四十元もするものを頼んでしまったけれど、食べながら観察していると、気の効いた人はちょっと奥まった場所にある大きな鍋の前に並び、お金を払う様子もなく柄杓で勝手に注いでいる。内容は台灣大学にあったものに似ているように見える。おかずはどれもこれもおいしい。しかしスープはどうも失敗だった。味は悪くないが向こうには只のものが見えているというのに四十元もするものを買ってしまったと思うと口惜しくてならない。

 空腹地獄から脱出した我々は、明日の台北行きの切符を買い、中正路にある台灣銀行に向かった。どうせ両替は二階に決まっているのだ。かけ上がると、おばさんは申し訳ありませんと前置きして自由路二段何号と書いた紙きれを渡し、こっちの店に行ってくださいとつけ加えた。
 「すみません、それはどの辺りになりますか」と、この間買っておいた台中市市街地図を差し出してみると、おばさんは「このあたりね」と印をつけてくれた。そこでありがとうと言って出ていればいいものを、意外にコミュニケーションがスムースに捗ることに気を良くした私は余計なことを聞いた。
 「じゃあ、今いる所はどこですか」
 全く間抜けな質問だと今でも思う。しかし今いる場所がハッキリわかっていればその場所に急行できるはずだと思ったし、だいいち使える英語はそのくらいしかなかったのだ。そんな子供のような質問だから、すぐに印をつけてハイさようなら、となるはずだったのに、急に隣のおばちゃんと大声で討論を開始した。台北の公館支店といい、ここといい台灣銀行の人はものものしい雰囲気が好きなのか。自分のしたことに悪態をつきながら私はことのなりゆきを見守るしかなかった。

 どうにか辿り着いたその店はかなり巨大で、まわりもごみごみしていない、いわゆるオフィス街のような場所にあった。おまけに態度もでかく、こんな一万円ぽっちでうちになんか来るんじゃぁないよアンタ、という顔をされたように思える。公館支店のような理不尽な目には遭わなかったので、どちらがいいのかとは言えないけれど、まあ、そんなこんなで両替えも終えていよいよ、耕読園を探す戦いの火ぶたが切って落とされた。

 初めにお断りしておくと、この耕読園探索雨の道行は実に長かった。あまりにも長すぎて、書くのがいやになるし、読むのもいやになるだろうから、はい、到着しました。よかったよかった。
 というわけにもいかないので、あらかた説明しておくと、約四十分でロイヤルガーデンビジネスホテルを発見した。これのどこがビジネスホテルなんだ?さすがは一流企業やることが違うのう。嘆息してからさらに四十分ほど歩いた時、それらしい建物に遭遇したけれど、名前が違う。行き過ぎてから、番地を確かめてみると、すでに通り過ぎていることがわかった。
 「もしかして名前が変わったんじゃない?」と妻がうんざりした顔で助言した。

 そういうこともありうる。引き返し、番地を確かめると、情報通りの番号だった。しかしその名前は『無為草堂』となっていたのである。
 今まで歩いてきた通りは、日本で言えば、郊外の国道沿いのような道で、歩いている人なんか一人もいない。犬にさえ会わなかった。そんな地帯に一瞬タイムスリップしたのかと疑えるようなこんな店があるのは、ちょっと不思議な気がする。この一角だけが特殊な雰囲気をかもしだしていた。

 小姐に案内され、通された部屋は四組の客が入れ、真ん中が通路になっている座敷の部屋だった。我々の座った座席からは、中庭越しに向こうの座敷が見える。中庭には池があり、柳が植えられ、水面すれすれのところまで枝が垂れている。蛙が飛びつけば完璧だ。また雨脚が強くなったのか、どしゃどしゃと音たてて雨は樋から池に流れ落ちている。雨音さえも絵になっているという思いが、その時私の胸に去来した。
 例によって意思の疎通がうまくいかないので小姐に三回も交替してもらい、ようやく注文を済ませた。炭火焙煎の凍頂烏龍茶と、點心を二種類。お茶はどれを頼んでも、お茶が出てくるだろうから問題は無いけれど、點心のほうは何なのかわからないので、コレハアマイモノデアルノカとか、ザイリョウハナニデアルノカと訊いてみたけれど、結局よくはわからなかった。

 火鉢やら急須やらの道具を運んでくれた小姐は、少々照れながら正しいお茶のいれ方を実演した後、礼をしてにっこりとほほえみながら退場した。どうもこの照れられるのに弱いのか単に若い小姐が好きなのか、台灣の株が上場したのを感じる。

 ここには何時間いても構わないらしく、回りにいる人達はのんびりと双六をしたり、おしゃべりをしている。トイレに立った時には、一人でひまわりの種をあてに、分厚い漢字だらけの書物を読んでいる人も発見した。ゆったりとした時間というのは、こういうことなんだなぁとわかった気になった。

 お茶はどう表現したらいいのか、これが同じ烏龍茶とはとても思えない。よい薫りがし豊潤な味がする。初めて眼鏡をかけた視力0.1の人の視界みたいにしっかりした味だ。そのくせ、あの、あとに残るウーロン茶らしさだと今まで思っていたエグみのない、さっぱりとした上品な味だ。先日飲んだ故宮の鉄観音さえも、遠く足元には及ばない。

 待ち合わせ場所までの時間を逆算すると、あと一時間くらいしかここにはいられない、とわかるととても残念に思えた。禁を破り、タクシーに乗るとすれば、さらに三十分くらいは長くいることができる。どうしようかと迷いながらも、いろいろ煩わしいことは忘れ、お茶を飲んだり點心をつまんだり外を眺めたり葉書を書いたりした。

耕読園に関する追記
旅行から帰って植村邸にて台湾お茶屋本で調べてみると、旅行前にリストアップした雑誌のミスであることが発覚した。耕読園は台北にあるお茶屋であり、それと混同だか誤植だかしたらしい。

お茶屋に関する追記
やはり帰国後立ち読みしたバックパッカー本によると、台灣で烏龍茶を飲むと破産するから気をつけるように…という文章を発見。これはイッチョ張り込む時に使うデートスポットもしくはブルジョアのサロン的な場所なのかもしれない。

 お茶の葉は袋ごとあったので、とてもこれだけの時間では飲み切れない。
 「ヨウ メイヨウ クリップ?」
 通りがかった小姐にそう言って、袋をはさむ仕草をすると、にっこりと笑って袋ごと持って行き、しばらくするとしっかりホッチキスで封をして、返してくれた。わしもなかなかやるもんだわい、ふふふのふん。小鼻をふくらませて勘定書きをレジに持って行った。

 どういう計算方法なのか、料金は意外に、というよりかなり高かった。注文したものに加えどうやら、時間も加算されるのかもしれない。いつもなら、悔しい思いをしたり文句を並べたりするところだけれど、どういうわけか今回は、そういうもんかと納得できる。もしかしたら、そんなお金のことなんか気にせずに長居をできるというのが、台灣にもそんな言葉があるのかどうか知らないけれど、それが粋というものなのかもしれない。もし、待ち合わせの約束が無かったら、今日両替したお金でも足りなくなっていたかも知れない。ちらと思いながら無為草堂を出た。

 そうして、ついに私はタクシーを拾うために右手を水平に突き出した。