僑寓
=仮の住まい:この場合ホテル、つまり、台北国際青年活動中心のこと。

昔からの取り決め
=「注文してとった料理は残さない」というポリシー。他にも、タクシーには乗らないというハタ迷惑な取り決めも持ちあわせている。

排気瓦斯=排気ガス

鳥渡=ちょっと

 夕べ信頼度の高い方の指南書を閲読してゐたら、豆漿の店の名前には永和と云ふのが多く附いていると云ふことに気がついた。然もその美味しいこと空前絶後と掲載されてゐる永和豆漿大王と云ふ店は、聯営公車で調べてみると、わが僑寓の近隣に位置してゐると云ふことも分かつた。あれやこれやと考へてみると、昨日あれほど興奮して食べたり飲んだりして絶賛したあの店に悪いとは思ふけれど、今日の店の方が美味しいに違ひないと七時に起床して八時かつきりにそはそはと出かけた。
 その店は、大通りに面した赤と黄色の大きな電飾が朝からちらちらと瞬き、この國の謡が大きな音量で掛かつてゐた。隣にも良く似てゐる店があることだと思つてゐると、永和清粥大王と云ふ名前で中は繋がつてゐた。この國の朝飯を食はせる店なのに、お客さんは若い男の人と女の人の二人連れだけしかゐなくて、少少寂しい心持ちがしたので、よしませうかと家人と相談したけれど、お腹の蟲もぐうぐうと鳴いてゐる様なので矢つ張り這入ることにした。
 昨日と同じ種類のものを注文して味比べしてみやうかとも思つたけれど、それも曲が無いことだと思ひ直し、餃子の様なもの、肉饅頭の揚げた様なもの、それから何なのか判然しないけれど三日月型の揚げたものをそれぞれ一つずつ注文した。豆漿を注文したのは云ふまでも無いことなのだけれど、飲み物は頼まなかつたのでせうかといちいち尋ねられるのも面倒なので付け加へておくことにする。

 私の注文したものは、どれもこれも両三度に渡つて揚げ直した様なもの許りで一向に美味しくない。豆漿の味などは厳密には分からない様なものだけれど、相方の方がさう云ふ状態だからこちらも一向な儘である。何なのか判然しなかつた三日月は、どうやら私の嫌ひな魚が這入つてゐた様で、残してしまひたいのは山山だけれど、昔からの取り決めでさう云ふ訳にもゆかない。困惑してゐると、家人もどうやら注文した油條三明治を残したさうでゐるのに気がついた。
 「その油條とこの三日月を交換する気は無いかね。中身はこの國にしてはめずらしく、魚だよ」
 家人の方も昔からの取り決めとお腹の具合が葛藤してゐた様で、その提案に乗つて来た。油條三明治は過なり油が廻はつているさうだけれど、私は魚をたべるよりは油つ濃いものを食べるのを潔しとするので、喜んで平らげたところ矢つ張り美味しくない。人の這入つてゐない店には這入らないに越したことはない様である。

 もうそろそろ残りのお金が心配になつて来たので、両替率が比較的宣しいと云はれてゐる台灣銀行に出掛ける様、布令を発した。指南書に拠ればこれも近隣に位置してゐて、台灣大学を挟んだ向かうの端にあると云ふことは分かつてゐるのだけれど、大学の中を通り抜けることが果たして出来るか知ら、もし不可能な場合には又又同じ道順を戻るのも業腹であるので、初めから外の塀をぐるりと廻はつておけば癪にも触はるまいと云ふことに結著し、うまさうな路上三明治屋さんを検閲し乍ら歩いて行つた。
 一体この自動二輪車の多さはどう云ふわけなのか、わけもくそもあるかッとこの國の人達は思つてゐるかも知れないけれど、さう思はずにはゐられないほど此の排気瓦斯には閉口してしまふ。大学の中を通つてゐたらどんなによかつただらうと、つひに悔やみ乍らも漸くのことで台銀を発見することが出来た。一階でもぢもぢしてゐると仕事の出来さうなをばさんが寄つて来て、「なにをお探しでせう」と尋ねてくれた様なので、「旅行小切手を両替したいのです」と云つてみると、をばさんはにこりと笑ひ「それは二階でございます」と答へてくれた。をばさんは英國語を喋舌つてゐるので、ございますと丁寧に話してくれたかどうかは判然とは分からないのだけれど、長年の経験から推察してみるとどうやら、さう云つてくれてゐる様だと思へて来て、余計なお節介ではあるけれど矢つ張り銀行と云ふ機関は教育がよく為されているのだらうかと云ふことまで考へてしまひ、忌ま忌ましいと思つてゐた気持ちも少しは薄れて行く様だつた。
 椅子に腰掛けて、日本円の旅行小切手を懐中より取り出し、その旨を申し伝へてから署名を然るべき場所に記入し、係官に提出した。係官は家人の弟氏に酷似せられておることもあり、幾許かの親近感を抱いてゐたところ、係官は突然眼鏡を懸け直し提出された旅行小切手を睨めて、更にはその視線を我が顔面に移動せられた。その目は何やら怪しい人物を見る目になつてゐる様な気がした。私には理解出来ない言葉で係官が喋舌ると、廻りに腰掛けて別の仕事に従事せられてゐたお神さんや、もう少し若さうな女の人たちが四人ほども仁王立ちになり、私の旅行小切手を覗き込みあれやこれやとまくしたて始めた。署名をするのはもう少し待つておけば良かつたと後悔した。
 「ニハオ、トンチン、トンチン」
 さう云つて係官は旅行小切手の会社に電話を掛けだした。私の顔を見ながらトンチントンチンとは、如何にも愚弄されてゐる様な気がする。しかし怒り出す柄でも無いので、黙つて腹の中で冷静になる様に努めてゐると、たぶんそれは東京のことだらうと気がついて少しをかしい様な気持ちになつた。なかなか埒が明きさうに無いので、思い切つて先程から考へてゐることを言つてみることにした。
 「飛行場にあるこの銀行で両替することは出来たのですが」
 「我が台灣銀行に於いてですか」
 「さうなのです、この台灣銀行に於いてです」
 「その時に、何の支障もありませんでしたか」
 「はい、もちろんです」
 さう返答すると係官は電話を掛けだした。鳥渡待つてゐると宿泊施設の電話番号を記入させられ、然るのち係官は書類を作成し始めたので、それを勘定してゐると十枚にも及んだらうか。おやおやと思つてゐると、今度はハンコを十五コ程もぺたりぺたりと押しつけて、「これを持つて十七番窓口へ行き給へ」と云つて漸く解放してくれた。

 僑寓に一旦帰り、昨日の約束通り宿房を変換し、台北車站に向かつたのは國立故宮博物院に赴く為である。私としては、博物館の様な辛気臭い所には行きたくないと思つてゐたのだけれど、家人との関係上そのことに関しては多くを談れないので、大人しく同道した。
 車站の旅行服務台で教へてもらつた北門と云ふ轉車站を先程から探してゐるのだけれど、車站付近は工事中で中中分からないでゐる。裏路地の様なところで、お神さんがうまさうなお午を作つてゐるのを横目に見て抜け出ると丁度、往故宮と書いてある汽車が信号待ちしてゐる。これはこれはと思つて手を挙げてみると、果たして運転手氏は車扉を開いてくれた。故宮と云ふのは何と発音したものか困惑したけれど、わくわくしながら「こきう」と云つてみたところ、違ふ違ふと大仰な身振りを返される。「それは失礼しました」と云つて、降りやうとした拍子に、「あ、矢つ張り乗つておき給へ」と身振りされたので、座席に身を預け落ち着くことにした。二つ目くらゐの信号で停車した時、急に運転手氏に呼ばれた。腰を上げて近づくと、「あちらの轉車站で待つておき給へ」と片言の英國語で説明してくれた様である。この少しの区間の料金は支拂ふべきか否なのかと財布を懐から出す仕草をすると、そんなものはいらないから早く降り給へと云つてゐる様であると、勝手に解釈して謝謝と階段を降りた。
 運転手氏の教へてくれた轉車站が北門であると判明した。つまり我我は故宮から帰つて来る汽車に乗り込んだと云ふことになる。排気瓦斯にまみれるのは不愉快であるけれど、汽車を見張つてゐないとすぐに目的の汽車を見過ごしてしまふ様な気がして、ずつと一番前で左側を睨めつけてゐた。

 辿り着いた博物院の辺りは、少し郊外であり町中の様な喧騒さは無かつたので、少しはほつとした。一人五十元の入館料を支拂ひ、晴れて故宮の人となり一目散に四階に駆け上つた。そこは東西閣樓冷飲點心部と云ふ茶店で、一歩中に踏み入れて驚いた。本物を見たことは無かつたので、判然とは云へないけれど、これがいはゆる伝統的な茶室の様であるとわくわくした。

  東西閣樓冷飲點心部から

二胡=いわゆる胡弓。











落鱗した=目からウロコが落ちたの略。造語らしい。










博物院に陳列せられし犬の置き物(オザキテルミ筆)

 入り口のお神さんに出向き、私は鉄観音を注文し、家人は烏龍茶を頼んだ。それだけだと少少寂しい様な気がしたので、安手のお菓子も注文することにした。眺めのよい窓際に陣取り、鳥のすいすいと鳴く声を聞いたり、二胡のゆつたりした音に耳を傾けたりしながら、滅法界良いところに来たものだと家人を褒めた。急須と茶碗を運んでくれるものと思つてゐたところ、蓋の閉まつた茶碗とお湯だけが這入つた土瓶が運ばれた。茶碗の蓋を開けると、お茶つ葉がむくれてゐて、ぎよつとしたけれど、ふはふはと良い薫りが上つて来る。おやおやこれはどうやつて飲むのだらうと思つたけれど、小さいころ見た一休上人の話を思ひ出して、その儘啜つたら、こんなにうまいお茶は初めて飲んだと落鱗した。一緒に注文した梛子饅頭も、竹の皮で包んだ少し許り甘い肉餃子も申し分ない。お湯はお神さんが時時巡回しては注いでくれるので、何回も入れてもらつて、また来たいものであると気焔を上げた。

故宮博物院東西閣樓冷飲點心部見取図

計車=タクシー

少年飛翔=少年ジャンプ
睨めくら=にらめっこ

卓子=テーブル

藍の襯衣
=ダンガリーシャツ

自助餐庁にをられし
異国の婦人

 折りよく来ていた二百十三番の汽車は直接台北車站に帰られる様だつたので、慌てて乗り込むと間もなく発車した。大直と云ふ轉車站で運転手に「シウテンダ」と云はれて廻りを見回すと、西洋人の老夫妻と私達の外国人二組だけがぽつんと座つてゐて、どうやら汽車に書いてある行き先は当てにはならない代物だと漸く気がついた。西洋人夫妻は小銭が無かつたらしく、さつさと計車を掴へてゐなくなつてしまつた。見ると私達も小銭が無い。しかし、これも昔からの取り決めで、計車には乗らないことになつてゐる。止んぬるかな、道路の向かうに見える愛弟豆花大王に這入ることにした。
 そこは小供の溜まり場の様な店で、女子中学生は塊まつてぺちやぺちやとお喋舌りをし、男子中学生は独りで集英社の少年飛翔を読み耽つてゐる。品書きと睨めくらをして、芋泥豆花と緑豆豆花を注文することにした。緑豆は想像出来るけれど、芋泥とは一体何なのでせう。掬ふとそれは里芋の角切りの様で、これはお八つなのか知らなどと考へながら平らげた。豆花屋さんを出て、轉車站に戻らうとすると、高雄黒輪大王と云ふ店が目に留まり、中を覗いてみるといはゆるおでんを食はせる店の様だつたので、ふらふらと這入つてしまふ。目についたうまさうなものを指差すと、次次にをばさんは盛り付けてくれる。おつゆも一つ入れてもらひ、入れ込みの卓子に運んではふはふとほほばつたら、少し甘い出汁ではあるけれど、懐かしい様な心持ちになつた。

 寿司詰め汽車の入り口の階段に立つた儘、前を眺めてゐると、ラヂオから如何にも中國らしいゆつたりした曲が流れて来た。運転してゐるのは、三十才くらいの婦人で、だぶだぶに着た藍の襯衣、手には軍手をはめてゐる。圓山大飯店が見えた時、婦人の横顔が西の空に落ちかかる日にかがやいた光景は活動写真の中の様で今にも思い出すことの出来さうな出来事に思へる。

 三越百貨店の横で位置を確認して向かつた店は東一排骨店と云ふ店で、指南書に拠れば猪の肋肉の唐揚げを載せた支那蕎麦を食はせる店ださうで、一度は食べておかなければいけないものであると家人に布告し、反対を押し切つて這入つたのだけれど、店構えは廉物の喫茶の様で、支那蕎麦屋と云ふ感じがしないからどうも落ち着かない。私は排骨麺、家人は木瓜牛乳を注文した。蕎麦は香菜風味でうまいが、肝腎の排骨の方は甘い味付けで、八角風味もするし過なり油つ濃いものだつたので、なんだ、こんなものか、とその時は思つた。しかし、今、味を思いださうとしてみると、もう一度食べてみたい様な気もしてゐる。
 その足で今度は家人に付き合つて、素食の自助餐庁に這入つた。お相伴しながらよくよく考へてみると、今日はお午を食べてゐないと云ふことに気がついた。