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モンベル
改めて説明する必要もないとは思いますが、
コサカくんが勤めているので、ザックや傘なども、モンベルで統一しているのであった。

 1つめの港でドラ息子に心の中で別れをつげ、カフェの兄ちゃんがソージキでギュンギュン床を吸い込んでいる間に、でかくて少しばかり座り心地よさそうなソファーへと移動した。人はかなり少なくなり、ほとんど横になって寝ることができる。少し肌寒い。人が減った分、だんだん冷房が効いてきたらしい。マツバラマサヒロ君寄贈の正調唐草風呂敷にひっくるまってやろうかいとザックを探ったけれど底のほうだったしそれだけは止めてくれろというテの助言も無視することもできないので、モンベルのゴアテックスヤッケをひっぱりだし、はおった。
 午前5時ごろ港(どこだかわからないけれど、おそらくペロポネソス半島の南端の港と思われる)に着岸したかと思ったらそのまま碇泊したので、そのスキにうっそりと眠った。

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 ジャーンというベルとともに人がどっとおしよせている。と思う間もなく、たちまち席は満席へとかわった。まるテーブルに移動して、昨日買い込んでおいた食料を喰う。そして辺りはケンソーにつつまれたが、それとはうらはらに船は緩やかに進む。藤沢周平したり、トランプしたりで次の港に着くと人はどっと減った。その勢いで再び眠りに落ち、気がつくとクレタ島の名前のわからない港に着岸するところだった。1995年6月3日土曜日午後1時40分のことだった。

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ホテルアニィ間取
A=ベランダ
B=シングルベッド
C=ダブルベッド
D=たんす
E=いす
F=WC&シャワー
G=廊下

 デビッド大森夫妻、老夫婦、我々その他もろもろは港に待ちうけていたバスにわけもわからないまま乗りこんだ。もっともわけわかってないのは我々だけだったかもしれないが......。とりあえずみんなの行き先に習ってハニアという所の名前を車掌に告げた。なぜか500ドラクマのチケットを1人に2枚ずつ渡される。
 オリーブ畑、ビーチ、遠くに雪を頂いた山などを通り過ぎる。このバスはごきげんなバスだ。外見はクリーム色とオリーブ色のツートンで古めかしいが、クラクションがふるっている。ピッピとかブッブなどのありきたりではなく、フィッフィーと口笛を威勢よく鳴らしては追い抜きまくっている。これだと追い越されても悪い気はしないかもしれない。
 この地方のレンタバイクはカブよりもオフロードタイプのほうが主流のようだ。と観察しているとハニアに着いた。バスを降りるとレンタルーム屋のおっちゃんがたったの1人だけやってきた。
 「共同シャワーで4000」
 おっちゃんというよりアニィといったほうが適当かもしれないが、短い頭(久米宏的)にサングラス(偽レイバン風)だからチト怪しいけれど、旅も1ト月近くなり少々騙されてみてもいいかなと思える余裕も手伝って、とりあえず見てみることにした。バカっぱやい足どりのアニィにヒーコラついてって案内された部屋は又もや5号室だった。
 なかなか広い。ダブルベッドとシングルベッド1つずつ備えてありガランとはしているが、テラスもある。車の通る道には面していないので、たしかにベリークワイエットぽい。なんだか青年活動中心を彷佛とさせるものがあるが、いい部屋だと思う。
 オーケーと宣言すると、アニィはジョージだと言って握手で商談は成立した。えらくすんなりここまでこれたもんだ。

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 ハラヘリ万太郎なのでとにかくナンゾ食べようと表に出ると、あれなつかしやスブラキ屋のファストフードっぽい店があるではないかいな。モネムバシヤではとんと御無沙汰でしたからな。うむを言わせずそこに入りし我々は例のスブラキ(ここではギロスパイと書いてある)2つとコーラ1、スモールハイネケン1の1150ドラクマを注文したのであった。この辺りのスブラキは中にポテトフライまで入れる主義らしく、けっこうなボリュームである。これで1つ300はダトーである。もう1個喰いたいと言うテをなだめて、フラフラ散歩をした。
 この辺りの街灯はチョイとアンティークな感じのする逸品である。ガイドブックの言う通りベネチアのような印象も受けないではない。ちょっと裏通りに入るとなかなか洒落た枯れぐあいの通りがある。ばったりデビッド大森と遭ってしまった。しかしよく逢うわい。

ハニアの裏通りにあった街灯。パチパチしていると、おばあさんがのぞいてきた。

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 ジョージアニィの教えてくれた方向にスーパーを探しに行ったけど不発に終り、代りにがんこおばさんの経営しているスブラキ屋を発見した。我輩のハナがうまそうだと告げるので、水と一緒に買うことにした。おばさんの息子が通訳兼売り子だった。フォーティーハンドレッドトゥエンティーだってさ。
 我輩のハナも地に落ちたようで、今までで最悪の味だった。しっかりしろ我輩のハナ!帰ってシャワー(熱湯!)を浴び洗濯をすませてベランダで涼むと、風が意外ときつく寒いくらいだった。スズメがピュンピュン飛んでいる。ご近所のおうちにはベランダはあるけれど手すりがない。窓ガラスもない。ハトがポーポーと鳴きだした。おばさんが出てきて毛布パタパタをやりだした。

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 さて、めしくいにレッツゴーと外に出る。お向かいのおばあちゃんが外でごそごそしているところに目が合ってしまったのでカリスペーラとあいさつしてみた。テは家の中に並べてある織り物を目ざとく発見すると、もう進入してしまった。おばあちゃんはギリシャ語オンリーなのもおかまいなしに、さっそく何やら説明を受けている。さすが『ばあさんキラー』じゃわい。ばあさんも嬉しいのかいっぱい喋っている。全てハンドメイドでそこにある織り機で織っているらしいということがわかったところでジョージが通りかかり、英語で通訳してくれた。マルバシヤホテルに敷いてあったような絨毯の小さいのは5000のところを4000にしてくれると言っているらしい。そういう「○○のところを××に」というセリフが出てくると、とたんに興醒めしてしまうわしだが、とりあえず考えますと言ってもらい、900の前掛けらしきものを購入するテであった。お釣がちょうどではなかったからか、アメちゃんをくれた。我々はここに泊まっておるのだよと、アニィノホテルを指さすと「ヤドヤド」とおばあちゃんは言った。

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レツィーナ
ほとんどワインとかわりない気がするが、松やにを入れているのがひとつの特徴らしい。
ツボルグのソーダ
砂糖は入ってない。ギリシャでは愛飲したが、実は「ツボー」と発音するということが発覚するのは北欧に入ってからの事だった。

 いちばん初めに客引きをしてきたタベルナに入った。レツィーナというワインみたいな酒。ツボルグのソーダ水。ポークスブラキ、アボガドサラダ、スタフドトマト。レツィーナを持って来た時おじさんは、親指と人さし指をくっつけて口に持って行き、タバコを吸うような感じで口をすぼめ、目をつぶりながら、んーーーーーーーっちゅばッ、ベリーナイス!とやって去って行った。ひとくち飲んでみるとなるほど酒くさくなく爽やかな飲み心地とでも申しましょうか、けっこういけると思ってしまった。別のにーちゃんもベリーナイスと言いつつ、このハニアの産物であるのだよと教えてくれた。みんな自分の町を愛しているのだ。ポークスブラキの味はいいけれど、ちょっと冷めていたのが難点ですよぉ。などとロサンジンの愛弟子ごっこをしていると、デビッド大森夫妻が通りがかり、初めてあいさつをした。会釈をすると向こうもニコッと笑っていた。

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 テがレツィーナに悪酔いをしてしまい大変だった。オロカなやつよ。ホテルはどうやら我々の貸しきり状態のようである。そうして6月3日の夜は更けてゆくのだった。

(c)1995-2002 HaoHao

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